2015年3月30日のエントリー。
主従の関係において、よくスイッチを入れるとかスイッチが入るとか
そういう表現で、日常と非日常を区別することがある。
自分も
首輪を嵌めてリードを繋いだ時に、スイッチが入る感覚になるが
じゃあ、仕事をしていたり、会っていない時とかはスイッチは切れているんだろうか。
そう考えると、自分のS性がまったくゼロになっている訳ではないと思う。
普段も常に支配している感覚はあるし、もちろん会っていない時でも
「どうしているかな?」とか「きちんと食事はしてるかな?」とか
常に気にしている。
だからこそ、明確に日常と非日常を区別するのではなく
「グラデーションのように交じり合う」という感覚なのだが
従である相手ににも同じような感覚を持っていてほしい。
もちろん、その濃淡はあってしかるべきだし
自分の場合は、スイッチが入るというよりは、その瞬間に一気に濃い色になる
といった方が正確かもしれない。
海の色が太陽の明かりによって、「あっ」という間に変化するように・・・。
一気に深い海へ、濃い青色の世界に導かれるように・・・。
その色になると、とても厳しい自分がいると思う。
普段はというと
相手のこころに、ふんわりとでもいいから、自分が影響を与える存在でいたい。
色は薄くてもいいから、途切れることなく支配を及ぼしていたい。
それは
「離れていても常に見守っている」
「だから、安心しなさい」
という感覚を相手に持っていてほしい、ということだが
何かを決める時に「主だったらどう考えるだろうか・・」とか
「主に恥ずかしくないように振舞おう」とか
そういう拠り所に自分の存在があってほしい。
その安心感が日常にも良い影響を与えることによって
相手を人間として、女性として成長させてあげたい。
それが主としての自分の願い。
主従の関係において、よくスイッチを入れるとかスイッチが入るとか
そういう表現で、日常と非日常を区別することがある。
自分も
首輪を嵌めてリードを繋いだ時に、スイッチが入る感覚になるが
じゃあ、仕事をしていたり、会っていない時とかはスイッチは切れているんだろうか。
そう考えると、自分のS性がまったくゼロになっている訳ではないと思う。
普段も常に支配している感覚はあるし、もちろん会っていない時でも
「どうしているかな?」とか「きちんと食事はしてるかな?」とか
常に気にしている。
だからこそ、明確に日常と非日常を区別するのではなく
「グラデーションのように交じり合う」という感覚なのだが
従である相手ににも同じような感覚を持っていてほしい。
もちろん、その濃淡はあってしかるべきだし
自分の場合は、スイッチが入るというよりは、その瞬間に一気に濃い色になる
といった方が正確かもしれない。
海の色が太陽の明かりによって、「あっ」という間に変化するように・・・。
一気に深い海へ、濃い青色の世界に導かれるように・・・。
その色になると、とても厳しい自分がいると思う。
普段はというと
相手のこころに、ふんわりとでもいいから、自分が影響を与える存在でいたい。
色は薄くてもいいから、途切れることなく支配を及ぼしていたい。
それは
「離れていても常に見守っている」
「だから、安心しなさい」
という感覚を相手に持っていてほしい、ということだが
何かを決める時に「主だったらどう考えるだろうか・・」とか
「主に恥ずかしくないように振舞おう」とか
そういう拠り所に自分の存在があってほしい。
その安心感が日常にも良い影響を与えることによって
相手を人間として、女性として成長させてあげたい。
それが主としての自分の願い。
2015年3月1日のエントリー。
今日は主としての役割りについて。
やっぱり、相手に「こころの安定」を与えてあげること。
不安でデリケートなMのこころに寄り添ってあげること。
「本当に自分でいいの?」、「喜んでくれているのかな?」
「楽しいのかな?」、「気持ちいいのかな?」
Mのこころはいつも不安だらけ・・・。
だから
「ここがお前の居場所だよ」、「楽しいよ!」、「嬉しいよ!」
きちんと伝える努力をすること。
そして
主に対してどんなことでも素直にはなしが出来るようにしてあげること。
強制ではなく、どんなことでも主に報告することがごく自然なことに
感じられるように躾けること。
叱るべき時は叱り、褒めるときはいっぱい頭をなでて褒めてあげて
アドバイスはしっかりと。
Mのこころが持っている不安という呪縛から救い出してあげること。
そして、主の「こころの縄」でMのこころを優しく縛ること。
(緊縛は厳しいですよ^^)
そういう主としての役割り、いわゆる「優しさの苦しみ」をきちんと
考えてこそ、大きな器でMのこころを包んであげられると思う。
今日は主としての役割りについて。
やっぱり、相手に「こころの安定」を与えてあげること。
不安でデリケートなMのこころに寄り添ってあげること。
「本当に自分でいいの?」、「喜んでくれているのかな?」
「楽しいのかな?」、「気持ちいいのかな?」
Mのこころはいつも不安だらけ・・・。
だから
「ここがお前の居場所だよ」、「楽しいよ!」、「嬉しいよ!」
きちんと伝える努力をすること。
そして
主に対してどんなことでも素直にはなしが出来るようにしてあげること。
強制ではなく、どんなことでも主に報告することがごく自然なことに
感じられるように躾けること。
叱るべき時は叱り、褒めるときはいっぱい頭をなでて褒めてあげて
アドバイスはしっかりと。
Mのこころが持っている不安という呪縛から救い出してあげること。
そして、主の「こころの縄」でMのこころを優しく縛ること。
(緊縛は厳しいですよ^^)
そういう主としての役割り、いわゆる「優しさの苦しみ」をきちんと
考えてこそ、大きな器でMのこころを包んであげられると思う。
前回、「鍵と鍵穴」のエントリーに書いたけれど
最初からピッタリと合うような、「鍵と鍵穴」なんて無いと思うんだ。
人それぞれいろんな人生があって、考え方や趣味嗜好も千差万別が当たり前。
普通の社会生活だっていろいろ大変なのに
ましてこちらの世界ではもっと大変だと思う・・・。
SMや主従という、こちらの世界での一般的な定義でいえば
従は主の言う事が絶対であり、出来ないのは従の努力不足であり
奴隷として失格だ・・・みたく言われている。
もちろん、Mのこころに「従いたい」、「好きに使って欲しい」
「命令されたい」という意識があるのは当然だ。
だからこそ、主に好かれたい、必要とされたいと頑張りすぎる・・・・・。
ちょっと出来なかったりして落ち込むと、「自分では役不足だ・・・」とか
「主に満足して頂けない・・・」とか、自分で自分を追い込んでしまう・・。
そして、鍵穴を閉ざし、自分をダメな従とか、いない方が良い存在とか
自分勝手に決めてしまう。
主が必要ないと言ったなら別だけど、繊細なMのこころは逃げることで自分を納得させる。
最初からピッタリと合う「鍵と鍵穴」なんてある訳ないんだ。
お互いを知り、こころを見せて一緒に主従を創っていくんだ。
そうして、主は合う形の鍵を探し、従はちょっとずつ鍵穴を拡げていく。
だから、無理やりに鍵穴の形を鍵に合わせる必要はないんだよ。
形なんかに囚われず、従うことが喜びになり、こころが安定すれば
主は鍵穴の形をわかるようになるんだ。
それが、鍵穴の形を伝えると言う事だと思う。
自分の思う「育て直し」は
型にはまった定義の檻から従のこころを救い出し
二人に合った主従関係を創ること・・・。
最近、コメントをくれたM女さんのブログが閉鎖されたりすることが多く
ちょっと気になっていた・・・・。
良いんですよ、最初はダメダメな奴隷でも^^
それを育て直すのが主の役割なんだから・・・・・。
最初からピッタリと合うような、「鍵と鍵穴」なんて無いと思うんだ。
人それぞれいろんな人生があって、考え方や趣味嗜好も千差万別が当たり前。
普通の社会生活だっていろいろ大変なのに
ましてこちらの世界ではもっと大変だと思う・・・。
SMや主従という、こちらの世界での一般的な定義でいえば
従は主の言う事が絶対であり、出来ないのは従の努力不足であり
奴隷として失格だ・・・みたく言われている。
もちろん、Mのこころに「従いたい」、「好きに使って欲しい」
「命令されたい」という意識があるのは当然だ。
だからこそ、主に好かれたい、必要とされたいと頑張りすぎる・・・・・。
ちょっと出来なかったりして落ち込むと、「自分では役不足だ・・・」とか
「主に満足して頂けない・・・」とか、自分で自分を追い込んでしまう・・。
そして、鍵穴を閉ざし、自分をダメな従とか、いない方が良い存在とか
自分勝手に決めてしまう。
主が必要ないと言ったなら別だけど、繊細なMのこころは逃げることで自分を納得させる。
最初からピッタリと合う「鍵と鍵穴」なんてある訳ないんだ。
お互いを知り、こころを見せて一緒に主従を創っていくんだ。
そうして、主は合う形の鍵を探し、従はちょっとずつ鍵穴を拡げていく。
だから、無理やりに鍵穴の形を鍵に合わせる必要はないんだよ。
形なんかに囚われず、従うことが喜びになり、こころが安定すれば
主は鍵穴の形をわかるようになるんだ。
それが、鍵穴の形を伝えると言う事だと思う。
自分の思う「育て直し」は
型にはまった定義の檻から従のこころを救い出し
二人に合った主従関係を創ること・・・。
最近、コメントをくれたM女さんのブログが閉鎖されたりすることが多く
ちょっと気になっていた・・・・。
良いんですよ、最初はダメダメな奴隷でも^^
それを育て直すのが主の役割なんだから・・・・・。
今回は自分のSM観というか、根底にある精神的な趣向について。