前回、「鍵と鍵穴」のエントリーに書いたけれど
最初からピッタリと合うような、「鍵と鍵穴」なんて無いと思うんだ。
人それぞれいろんな人生があって、考え方や趣味嗜好も千差万別が当たり前。
普通の社会生活だっていろいろ大変なのに
ましてこちらの世界ではもっと大変だと思う・・・。
SMや主従という、こちらの世界での一般的な定義でいえば
従は主の言う事が絶対であり、出来ないのは従の努力不足であり
奴隷として失格だ・・・みたく言われている。
もちろん、Mのこころに「従いたい」、「好きに使って欲しい」
「命令されたい」という意識があるのは当然だ。
だからこそ、主に好かれたい、必要とされたいと頑張りすぎる・・・・・。
ちょっと出来なかったりして落ち込むと、「自分では役不足だ・・・」とか
「主に満足して頂けない・・・」とか、自分で自分を追い込んでしまう・・。
そして、鍵穴を閉ざし、自分をダメな従とか、いない方が良い存在とか
自分勝手に決めてしまう。
主が必要ないと言ったなら別だけど、繊細なMのこころは逃げることで自分を納得させる。
最初からピッタリと合う「鍵と鍵穴」なんてある訳ないんだ。
お互いを知り、こころを見せて一緒に主従を創っていくんだ。
そうして、主は合う形の鍵を探し、従はちょっとずつ鍵穴を拡げていく。
だから、無理やりに鍵穴の形を鍵に合わせる必要はないんだよ。
形なんかに囚われず、従うことが喜びになり、こころが安定すれば
主は鍵穴の形をわかるようになるんだ。
それが、鍵穴の形を伝えると言う事だと思う。
自分の思う「育て直し」は
型にはまった定義の檻から従のこころを救い出し
二人に合った主従関係を創ること・・・。
最近、コメントをくれたM女さんのブログが閉鎖されたりすることが多く
ちょっと気になっていた・・・・。
良いんですよ、最初はダメダメな奴隷でも^^
それを育て直すのが主の役割なんだから・・・・・。
最初からピッタリと合うような、「鍵と鍵穴」なんて無いと思うんだ。
人それぞれいろんな人生があって、考え方や趣味嗜好も千差万別が当たり前。
普通の社会生活だっていろいろ大変なのに
ましてこちらの世界ではもっと大変だと思う・・・。
SMや主従という、こちらの世界での一般的な定義でいえば
従は主の言う事が絶対であり、出来ないのは従の努力不足であり
奴隷として失格だ・・・みたく言われている。
もちろん、Mのこころに「従いたい」、「好きに使って欲しい」
「命令されたい」という意識があるのは当然だ。
だからこそ、主に好かれたい、必要とされたいと頑張りすぎる・・・・・。
ちょっと出来なかったりして落ち込むと、「自分では役不足だ・・・」とか
「主に満足して頂けない・・・」とか、自分で自分を追い込んでしまう・・。
そして、鍵穴を閉ざし、自分をダメな従とか、いない方が良い存在とか
自分勝手に決めてしまう。
主が必要ないと言ったなら別だけど、繊細なMのこころは逃げることで自分を納得させる。
最初からピッタリと合う「鍵と鍵穴」なんてある訳ないんだ。
お互いを知り、こころを見せて一緒に主従を創っていくんだ。
そうして、主は合う形の鍵を探し、従はちょっとずつ鍵穴を拡げていく。
だから、無理やりに鍵穴の形を鍵に合わせる必要はないんだよ。
形なんかに囚われず、従うことが喜びになり、こころが安定すれば
主は鍵穴の形をわかるようになるんだ。
それが、鍵穴の形を伝えると言う事だと思う。
自分の思う「育て直し」は
型にはまった定義の檻から従のこころを救い出し
二人に合った主従関係を創ること・・・。
最近、コメントをくれたM女さんのブログが閉鎖されたりすることが多く
ちょっと気になっていた・・・・。
良いんですよ、最初はダメダメな奴隷でも^^
それを育て直すのが主の役割なんだから・・・・・。