2015年3月9日のエントリー。
主従の考え方や主としての在り方など、考え方は人それぞれだと思う。
他の方のブログなどを拝読させて頂いていると
やっぱり、いろいろな考え方があるんだなって思う。
そもそも、主従の考えや主の在り方に決まったものなどなく
ひとそれぞれが、真剣に考えて自分の想いを伝え
その想いに寄り添ってくれる人がいれば、それでいい。
ただ
ご主人様だから、何でも命令すればいいとか
奴隷なんだから、黙って言うことを聞いていればいいんだ・・・
というのは、やっぱり自分のスタイルでは無い。
SMは暴力でも、一方的な自己満足ではないと思う。
もちろん
自分も調教の時などSの色が濃く変わったときは
厳しく、有無を言わさないような感じにはなるし
(だから、セーフワードを決めたりする)
自分の思うように、自分が満足するように
縛り、鞭を打ち、蝋燭を垂らし、頬をたたく。
でも、緊縛したら相手の腕の位置や、血管の状況
痺れてないかなど、細心の注意で気を遣う。
どこか冷静な自分がいるっていうか
もう一人、俯瞰している自分がいるような、そんな感覚。
厳しい言葉を言わなくても
見つめただけで、眼の色を見せるだけで
相手のこころをギュッと縛ることができる主でありたい。
主従の考え方や主としての在り方など、考え方は人それぞれだと思う。
他の方のブログなどを拝読させて頂いていると
やっぱり、いろいろな考え方があるんだなって思う。
そもそも、主従の考えや主の在り方に決まったものなどなく
ひとそれぞれが、真剣に考えて自分の想いを伝え
その想いに寄り添ってくれる人がいれば、それでいい。
ただ
ご主人様だから、何でも命令すればいいとか
奴隷なんだから、黙って言うことを聞いていればいいんだ・・・
というのは、やっぱり自分のスタイルでは無い。
SMは暴力でも、一方的な自己満足ではないと思う。
もちろん
自分も調教の時などSの色が濃く変わったときは
厳しく、有無を言わさないような感じにはなるし
(だから、セーフワードを決めたりする)
自分の思うように、自分が満足するように
縛り、鞭を打ち、蝋燭を垂らし、頬をたたく。
でも、緊縛したら相手の腕の位置や、血管の状況
痺れてないかなど、細心の注意で気を遣う。
どこか冷静な自分がいるっていうか
もう一人、俯瞰している自分がいるような、そんな感覚。
厳しい言葉を言わなくても
見つめただけで、眼の色を見せるだけで
相手のこころをギュッと縛ることができる主でありたい。